2017
29
Sep

「自我」

過去に強烈に自我の強い異性と付き合えば、その後の生活への影響は大きい。

特に男が女に与える影響度は罪深いレベルといえる。

自我とは漢字を見ても分かる通り「自」「我」どちらも「自分」という意味を持っていて、それが強いということだけど、自己中心的、とイメージしそうになるが少し違う。

「自我」というのは、自分が自分だと思い、自分を操作する中心、である。
自分の中の司令塔であり、いま「わーっ!」と叫ぼうと思えば叫べる、自然にではなく人工的に動かせる心、まぁ「意識」とだいたい同じようなもの。

「自我が強い」というのは、人工的だし強権的だし、自然に任せたりする態度とは逆。
イメージとしては、科学立国が森林を伐採し、海岸に大きな堤防を設置し、資源を採掘し、あちこちをコントロールするような感じ。
科学の力で津波も台風も火山も制御できると人間が考えたら、それは行き過ぎれば「傲慢」になるだろう。
例えば巨大な堤防で津波を防ぐことができたら、その堤防周辺では自然が破壊されて、今度は何か海産物が獲れなくなるかもしれない。
一つ一つ局部的に支配できても全体ではどんどん悪化するということになりかねない。

自我が強いというのはそういうことだと思う。

性格がとても細かく、ありとあらゆることに言及して(ダメ出しをして)、付き合いがはじまったばかりなのに、あり方を尊重しない人というのは自然と一体化していない。
つまり「癒し系」の正反対にいる人であり、制御したがる人のこと。

ああしなさい、こうしなさい、と言わなければ「相手を尊重している」ことになるのだと思い込んでいる人も多い。
それに「まぁ好きにすればいいよ」といちいち言う人も、自分は相手を尊重していると誤解していたりする。
好きにしていい、という許可を与えるような態度こそ支配的で制御的で自我が強い人の特徴だということをあまり理解できていないのである。
あまりに自我が強いのなら、少しずつ、自分以外にどうこう言いたがる、コントロールして把握したがるような心を癒していく必要があるだろう。

「自我の強さ」というのは、誤用ではあるが「面の皮の厚さ」と言ってもいいかもしれない。
本来は「図々しい」という意味だが、皮が分厚いから、心の奥まで見えないのである。
面の皮が厚いと、競争するようなシーンにはとても向いているが(政治家は、自我が弱いとなれないだろう。面の皮が分厚い必要がある)、心で接する必要があるシーンではあまり向かない。
もちろん言うまでもなく最高なのは「場面によって使い分けられること」だが。
ある場面では自我を強く持って、傲慢とも思えるぐらい状況をコントロールしにかかれたほうが良いだろうし、ある場面では自然体で人柄がにじみ出るほうがいい。

だから、自我の強い人にほど、植物を育ててほしいなと思う。
思い通りにならない、勝手に進行する世界に合わせながら付き合っていく、というのも楽しいから。